にわか観る将の五関担がえび座2016を見た感想
先日、『ABC座2016 株式会社応援屋~OH&YEAH~』を見ました。
ざっくり言うと、いしけんがDIGITAL CORPS時代に開発した人工知能ロボット「CATANA」に敗北したことをきっかけにプロ棋士を辞めるという桂馬が、DIGITAL CORPSを抜けたいしけん率いる株式会社応援屋に応援されて再戦するというストーリー。
AI対人間の将棋の対局。ロボットアームの見た目やコメントが流れるネット中継…完全に電王戦ですね。五関くんとしては、ひたすらかっこよかったんです。けど、桂馬はかっこ悪いと思いました。
CATANA戦と電王戦の違い
基本的にCATANA戦は電王戦だと考えてよいでしょう。違いを挙げるとすれば、開発者=主催者であるか否か。その他の条件は電王戦と同じと考えながら、観劇していました。なので、不明な点については「CATANA戦=電王戦」という認識での感想です。
CATANA選と電王戦について整理しておきます。電王戦は、今年の春に行われた第1期電王戦を例に挙げます。
・ソフト(どの手を指すか考える脳)
えび座…CATANA
電王戦…ponanza
・ロボットアーム(実際に指す手)
えび座…CATANA ←ルンバみたいに移動する
電王戦…電王手さん(シルバー) ←移動しない
※ホワイトだと、旧バージョンの電王手くん
・開発者
えび座…DIGITAL CORPS(というよりいしけん)
電王戦…ponanzaは山本一成さん、電王手くんはDENSO
・主催
えび座…DIGITAL CORPS
電王戦…ドワンゴ、日本将棋連盟
・生中継している人
えび座…不明
電王戦…主催者(ドワンゴ)
・対局する棋士
えび座…選出方法は不明だが、桂馬
電王戦…叡王戦で優勝した山崎九段
┗エントリー制であるため、強制力はない
主催者=開発者である点は、電王戦よりも囲碁の「AlphaGo(アルファ碁) 対 李世乭(イ・セドル)」の方が似てますね。実際に打ったのは人間ですが。
ちなみに、年齢制限については、↓。参考文献はWikipedia。
塚ちゃん、1幕で20歳で奨励会やめたって言ってて、2幕で年齢制限でダメだったって言ってて、「年齢制限ってもっと上じゃなかった?」って思ってたんだけど、調べたら2段階あった。塚ちゃん、いや、くりくりは初段の壁が突破できなかったのね! pic.twitter.com/lfTLhzshUA
— あるえ@いちなな再演につき歓喜 (@aruekk) 2016年10月21日
プライドのないプロ棋士・愛情のない開発者
桂馬は自ら望んでAIに挑み、負けたことを理由に引退を決意。負けたことから色々と考えさせられて引退するならともかく、子供のように負けたことに腹を立ててやめたようにしか見えなかった。ソフトとの対局を望むことについて、以前佐々木勇気五段の興味深い発言がありました。今回の叡王戦には参加し、決勝トーナメントまで駒を進めていますが、この時点(2015年3月)ではソフトと戦うことは怖いと思っていたそうです。
佐々木五段は「いや極端な話、(ソフトに)勝てると思えばみんな出ると思うんですよね、これだけ注目される舞台ですから」と前置きし、持論を述べ始めました。
(中略)
「(ソフトに)負けるとは思ってないんですけど、戦うのが怖いと思う。それも勝負師として良くない。やっぱ・・・勝負師としては、うん、やっぱダメなんですよ」と暗い顔で自虐的に述べました。
佐々木勇気五段「自分はソフトから逃げてるんです」。正直すぎる解説、電王戦FINAL第2局 | 将棋ワンストップ・ニュース
プロ棋士は、勝負師。プライドがあるんです。そこがかっこいいんです。そこが好きなんです。負けたことを「恥かいた」なんて、言わない。やっぱり覚悟を持ってソフトとの対局に臨むものだと思います。
棋士達がコンピュータとの対決を嫌がるかというと、むしろ逆である。そもそも棋士は、自分より強い者と闘うのが好きなのだ。そりゃ負けるのは嫌だ。だが強い相手に立ち向かってゆくのは、喜びでもあるのである。そうした「よい精神」を棋士は皆持っている。
今まで棋士のソフト使用についての規定がなかったのも、棋士の対局に対する誠実さが信頼されていたからだと思います。(先日の文春の記事にショックを受けましたが、三浦九段には白であってほしいと願います。)
開発者だって、将棋や自分のソフトに対して愛情を持っています。お金や変な野望のためではなく、ソフトを強くしたい一心で改良に改良を重ねているんです。そして棋士をリスペクトしている。決して人の不幸な顔を見たいからではありません。
ここ三年とそれにしても盛り上がったものだ。それも雰囲気がよく盛り上がった。これは、ひとえにドワンゴさんの演出の上手さによるところがおおきいが、棋士がコンピュータ及び開発者に対して敵愾心を持たなかったことが良かった。もうひとつ、開発者の人に棋士及び将棋界にリスペクトを頂いたのがおおきかった。なにより、大企業が予算をたくさん使って、というのではなく、個人でコツコツと開発したいうのが素敵ではないか。この場を持って皆様に、改めて敬意を表したいと思う。
そんなすごいソフトの開発者たちは、どんな人たちだろうか。孤高のマッドサイエンティストか。それとも、大手企業や教育機関の一員として一大プロジェクトを遂行する、理知的なエリート集団か。はたまた、人工知能によって、人類の完全支配を目論む、秘密結社のメンバーか。
現実は、そうではない。開発者たちのほとんどは、コンピュータ将棋を趣味とする、いたって普通の人たちである。
先日将棋電王トーナメントがあったばかりだったので、なおさらそれが悲しかったです。(こちらも上位だったソフトに不正疑惑があって本人は否定しているみたいですが…よくわからない。)
ロボットアームだって、人を傷つけるために生まれたものではありません。
「人間の動きに似せる」など、既存の何かに近づけることを目指すのではなく、あくまで対局相手に安心感を持ってもらうことを最優先に考えた。
(中略)
われわれが3年間取り組んできた「電王手シリーズ」は、まさしく将棋ソフトというAIが指示する内容を安全かつ正確に再現し、人との共存を可能にする出力装置であると言える。
産業用ロボット:人と戦うために生まれたロボット「電王手さん」は“人へのやさしさ”でできている - MONOist(モノイスト)
対局には、ドラマがあるんです。双方がプライドと相手への敬意を持って戦っているんです。人間対人間でも、人間対ソフトでも。あからさまな悪役がいた方がわかりやすいという制作側の気持ちもわかるから、まだ開発者はいいとして、プロ棋士である桂馬にそれが感じられませんでした。全く勝負師らしくもない。何故この人が強いんだろう、プロ棋士になれたんだろう…こんなプロ棋士、かっこよくない。応援したいとも思わない。「CATANAに勝てるのは桂馬さんしかいない」と言われるくらいなのだから、きっと羽生さんのようなポジション。そんな人の言動とは思えませんでした。演技が悪いとかではなく、もう脚本の問題。電王戦から入ったにわか観る将として、少し悲しい気持ちになりました。
モデルになったと思われる「人間将棋」
とはいえ、革命に合わせた五関くんのソロダンスはもう綺麗でかっこよかったし、最後のCATANA戦の演出は、構図や衣装もまるで人間将棋のようでおもしろかったです。
ちなみに、人間将棋はこんな感じ(↓)です。
砦みたいなものの上にいるのがプロ棋士で、指令に従って武士に扮した人間が駒を動かします。対局が始まる前に戦いの演出もあって、おもしろいです。マントをつけているのは、織田信長役のむとう寛さん。
「人を応援する」という応援屋のコンセプトも、歌も、とても素敵でした。
それだけに、残念。もう少し、プロ棋士やソフトの開発者に対しての敬意は払えなかったのか、と。
あるえ(こんな人)